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③糖尿病学、次の100年

2022年5月24日

昨年2021年11月はインスリン発見100周年の記念シンポジウムが開催され、これを機に「糖尿病とは何か?」を問い直し、学会員を中心に多くの意見を集約し今後100年を見据えた目指す方向性を明らかにしたとのことです。シンポジウム題名を見た時に「10年先を読むことが難しい時代に100年とは期間設定がずいぶん長いな」と感じましたが、実際に講演内容を聞くと8人の演者の専門領域ごとに考え方がそれぞれあって大変興味深く聴きましたので簡単にご紹介します。

今井 淳太氏 (東北大学大学院医学系研究科糖尿病代謝内科学分野)

「今後100年を見据えたインスリン治療の未来像」

糖尿病とはインスリン作用不足によって高血糖状態が継続する状態ですが、その原因として膵臓ランゲルハンス島β細胞(膵β細胞)のインスリン分泌能力の低下があります。インスリンは通常の状態では肝臓経由で筋肉や脂肪組織に移行し作用しますが、インスリン治療時に皮下注射した場合、同時に全身に作用してしまうため、自然の状態と異なり肝臓におけるインスリン作用は低下し、筋肉での作用が増加してしまいます。演者は、生理的に自然なインスリン分泌を再現するため、エンジニアリングにより肝臓で強く作用するインスリンの開発や、胃や小腸からインスリンを直接投与吸収させるデバイス治療法や細胞療法の可能性について紹介しました。また、肝臓から脳、そして膵β細胞間に存在する内臓神経-迷走神経の神経ネットワークに着目した、膵β細胞の増殖による治療法の可能性について述べました。演者らの研究で、脳と膵β細胞間の迷走神経を選択的に刺激することによりβ細胞を増殖させることに動物実験レベルでは成功しており、インスリン欠乏性の糖尿病の発症を抑制できたとのこと。さらにこの方法で増殖させた細胞は自己の抗体に対して抵抗性があるようです。つまり1型糖尿病、2型糖尿病の治療につながる可能性があると思われます。いつごろ実際の治療が行われるようになるかについて言及はされませんでした。

小谷 紀子氏 (国立国際医療研究センター病院糖尿病内分泌代謝科)

「Save the “orchestrated” and “fine-tuned” mechanism of the metabolic regulation」

インスリン分泌能以外に、インスリンの対象組織で作用が減弱する「インスリン抵抗性」が糖尿病のもうひとつの原因なのですが、このインスリン抵抗性には脂肪組織・筋肉・肝臓・食事やエネルギー消費の司令塔としての視床下部・サイトカイン分泌源としての白血球、そして消化管、各組織に侵入しているマクロファージなど極めて多くの組織・細胞群が関与しています。演者は「高インスリン血症」が身体の各部位に異常をもたらし、細胞増殖やタンパク質合成の異常からのがん化、ミトコンドリア機能異常、ERストレスなどから生じる心筋症、抗酸化作用の低下による老化を誘導すること、そして「過度の栄養(過食)」がERストレスとサイトカイン分泌異常を誘導し、インスリン抵抗性を惹起していることを示唆しました。また、過食によるインスリン抵抗性・高血糖の発症について、筋肉と肝臓で機序が異なること、脂肪組織と肝臓間のサイトカインシグナルによる連関、肝臓におけるERストレス反応の抑制が引き金になっていることを示しました。つまり、慢性的な代謝ストレスが各臓器の恒常性に異常をもたらしていることから、生体内に備わっている代謝の「orchestrated and fine-tuned」メカニズムを保つために患者毎に様々な指標を診て個別に対応する必要があるだろうと述べました。質疑応答では食事療法の難しさ、新しいバイオマーカーの必要性、糖尿病発症前から経口ブドウ糖負荷試験によるインスリン分泌能と抵抗性の状態を調べ予防介入するなどの議論がありました。

阪口 雅司氏 (熊本大学大学院生命科学研究部代謝内科学講座)

「脂肪組織のインスリン抵抗性改善を目指して」

脂肪細胞にはエネルギーを貯蔵する白色脂肪細胞と熱産生を行い、エネルギーを消費する褐色脂肪細胞があります。演者らは肝臓で産生される褐色脂肪細胞活性化因子(BAF: brown adipocyte activation factor)をメタボロミクスの手法で探索し、前駆細胞から成熟脂肪細胞の増殖を誘導すること、寒冷刺激や高脂肪食負荷でBAFの産生が亢進すること、脂肪燃焼・熱産生に関わるUCP1の発現や実際のミトコンドリア活性を上昇させることを示しました。興味深いことに、このBAFのTG・KOマウスの解析から、BAFが耐糖能低下、インスリン抵抗性に関与していることが示されており、今後全身の組織、臓器における解析を行う予定とのこと。新規の治療薬につながるかもしれません。

藤坂 志帆氏 (富山大学医学部第一内科)

「糖尿病とは?100年後の糖尿病治療は?~未病の理解,そして個別化医療に向かって~」

現状の糖尿病治療について「慢性的な血糖上昇を検出し合併症予防を目指して治療する」とされていますが、実際には糖尿病が発症する10年前からインスリン抵抗性が生じていること、血糖値が正常範囲内でもすでに膵β細胞の機能が徐々に低下しており、インスリン分泌能が失われ始めていることが以前から示されています。つまり健康状態から高血糖状態に遷移する過程で何が起きているかが発症の機序を明らかにする上で重要であり、遺伝的要因、環境的要因がそれぞれ関与しています。演者らの研究グループでは、2型糖尿病発症前から腸内細菌叢が変化していることに着目し、富山県の企業健診の受診者の腸内細菌叢パターンを解析しました。その結果興味深いことに、腸内細菌叢の分類によるパターンは、BMI、血糖、脂質、内臓脂肪、腹囲などのメタボマーカーと関連があること、食事や活動量、飲酒などの生活習慣とも関連があることが示され、明らかな代謝疾患を発症していなくても、生活習慣により腸内細菌叢が変化していることが示されました。また、富山大学の学際的に「未病」を科学的に解明する未病研究センターとの連携した最近の研究で糖代謝異常発症の2週間前に脂肪細胞で遺伝子発現が「ゆらぐ」変化が見られること、生薬の防風通聖散がその遺伝子発現の「ゆらぎ」と代謝異常を抑制したと述べました。本演題を拝聴し、これまでの明らかな血糖値やHbA1cを指標とする診断治療から、より個別に発症リスクを予想し未病の早期に介入し健康に戻ることができる時代が100年よりもかなり早く来ることを予感しました。

廣田 勇士氏 (神戸大学大学院医学研究科糖尿病・内分泌内科学部門)

「100年後の糖尿病治療を考える~糖尿病の診断,治療ターゲット~」

特に糖尿病の合併症、併存症の診断、治療に着目して予想を述べられました。血糖値・インスリン測定デバイスの高度化や、「がん」、「認知症」、「サルコペニア」などの併存症と関連するバイオマーカーの開発の進展を予想しています。最終目標の100年後には遺伝子発現パターンにより分類された病態・合併症、併存症のカテゴリごとに、診断基準と治療目標を設定するイメージの様です。質疑応答では「インスリンの作用不足によって生じる併存症が実際にどの程度あるのか我々は何も知らない」というコメントもあり、専門家の中でも現状の糖尿病の病態の全貌はまだまだ明らかになっていないと感じているのが印象的でした。また、講演を聴いて、臨床現場では患者の高齢化に伴う併存症の増加により、より病態が複雑化していることにより、診断、治療の選択も多様化していることを感じました。そのため、医師と患者の対話の重要性についても強調されたのだと思いました。

有村 愛子氏 (鹿児島大学大学院医歯学総合研究科糖尿病・内分泌内科学) 

「100年後の糖尿病合併症」

1型糖尿病と2型糖尿病それぞれについて合併症が生じるフローを示し、100年後に合併症を撲滅する戦略について述べました。カギとなるのはゲノムDNAの遺伝子診断、AIによる生活スタイルの監視指導、そして糖尿病発症リスクの高い食事には成人病予防税を課すなど政策的な介入まで想定し、100年後には予防が治療の中心になるだろうと予想しました。

片上 直人氏 (大阪大学大学院内分泌・代謝内科) 

「糖尿病合併症診療の未来~健康な人と変わらない人生の実現を目指して~」

糖尿病患者は高血糖状態に加え、肥満、高血圧、脂質異常を伴いことが多く、これらの因子が合併症を誘発すると考えられています。その上流には環境因子と遺伝因子が存在し、特に酸化ストレスに関与する遺伝因子の重要性を示しました。将来の方向性については、2030~2040年代の近い将来に、「健康な人と変わらない血糖プロファイルの達成」ができれば合併症を予防できるとしました。具体的には「遺伝子の多型・発現やメタボロミクスなどのオミクス情報を基盤とする個別化医療の普及」、「ウェラブルデバイスやIoT、AIを活用した合併症発症予測技術やデジタル治療の進展」を挙げましたが、「再生医療技術、人工臓器技等の活用」による膵β細胞の再生が最も効率的だろうと予想しました。

村上 隆亮氏 (京都大学大学院医学研究科糖尿病・内分泌・栄養内科学) 

「膵β細胞量制御が切り拓く糖尿病学―非侵襲的膵β細胞量モニタリング技術の開発と膵β細胞増殖制御機構解明へ」

2型糖尿病発症の前~初期過程において、膵島β細胞の減少が生じており、4~7割減少してしまうと発症すると考えられています。膵島の減少を抑制することが予防に、細胞量の維持、増殖が治療につながることから、非侵襲的な膵β細胞量のモニタリングが重要です。演者らはそのための評価技術開発を目的としプローブ標的分子の探索を行いました。膵β細胞に発現する分子GLP-1受容体を標的とするExendin-4の誘導体を用いて評価し、ヒトにおいても良好な膵臓のイメージングが可能であることを検証しました。また、シングルセル遺伝子発現解析により、膵β細胞の増殖制御機構を分析し、ERストレス応答が関与している可能性を、また、老化した膵β細胞がSASP(senescence-associated secretory phenotype)因子を分泌し、周囲のβ細胞の老化をさらに促進する可能性を示唆しました。講演を拝聴し、膵臓においても老化細胞を除去するセノリティック化合物の開発により膵島β細胞の機能を回復する可能性があることが大変印象的でした。糖尿病領域においても近い将来、抗老化医薬品が実用化する可能性を感じました。

総合所感

目標達成の期間の感覚はかなり違うのが興味深いですが、総じて皆さん糖尿病の治療の未来は明るいと考えています。技術的には膵島β細胞のインスリン分泌機能や細胞量の回復を目指した治療法が最も有望の様です。一方、インスリン抵抗性の研究についてはシグナルが全身に影響することと、組織・臓器間の連関がかなり複雑であることから今後の研究の進展に期待したいところです。また、ヒトの遺伝子多型と腸内細菌叢の分類で発症を予測する技術は、今後の大規模なホールゲノム・メタゲノム・ビッグデータ解析の技術的な進歩、統合により急速に進展する可能性を感じました。

人口の高齢化に伴い合併症や併存症の診断・治療がますます重要になってくるのは理解できます。個人的には、未病の段階で早期に介入し発症させないことが当人にとっても医療経済的にも重要で、その医療資源の確保と行動変容を誘導する介入プログラムの開発がヘルスケア事業としては有望であろうと感じました。その為の研究開発の基盤をもっと固めていく必要があると考えます。